『本当に残酷な中国史』の読後感

 

 サブタイトルに「大書「資治通鑑」を読み解く」とあるように、全294巻にも及ぶ大書を読破した著者による中国人論というべき入門書である。誰しもが通読できないくらいの大書をしかも専門外の人が自ら検索ソフトを作り読破したのだから、その労苦に敬意を払う。

 いくらデカルトが著書について「読者の忍耐ある協力を希っているのです。」という主旨の言葉を残しているとはいえ、質量共に膨大だから恐れ入る。世界に冠たる翻訳文化を有する日本ですら、未だに『資治通鑑』の全訳は存在しない位なのだから。因みに宮崎市定『中国史』によれば、『資治通鑑』は中国歴代王朝が編纂してきた『正史』の抜書きであり、せめてこれぐらいは読めという意味が含まれているというのだから、愕然とさせられる。

 芥川龍之介は『文芸的、余りに文芸的な』の中で日本人に比べ中国人の方が長編を書く忍耐強いエネルギーがある、の主旨を論じているが、中国の史書を対象とすれば、思わず首肯してしまいそうになる。もっとも、作品の性質および役割の違いによるものだから優劣や比較を論じても生産的でない。例えば、『源氏物語』は日本人の複雑な感情を叙述した名著に対し、『資治通鑑』に代表される中国の史書は複雑な事物を論理的に膨大に著述している。とはいえ、上述の古典は読者にとり、膨大なエネルギーを要する。

 前置きはさておき、『本当に残酷な中国史』の書評に入る。本書の特徴として、要領を得た分類分けがある。例えば、食人のパターン①美味・珍味として食べる、②罰として罪人の身内を殺して食べさせる、③薬として食べる、④憎い相手を食って鬱憤をはらす、⑤飢饉のとき、人を食べる、といった風である。それを簡潔に史実から例示してあるので説得力を持つ。読者にとっては読みやすく実にありがたい参考書である。本書では一般読者にはなじみの薄い五胡十六国時代から五代十国時代までを扱っている(随・唐両王朝の例も多い)。中国史に興味のある読者なら、春秋戦国時代なり、秦漢や三国時代の例を思い浮かべ、楽しみながら納得できる効用がある。

 中国人の陰険な策略についても本書(170頁)でまとめてる。①互いの妬みや怨みを利用する、②高位者を利用して報復する、③味方をも欺く、④おだてて自滅を待つ、⑤表では友好を装い、裏では陥れる策を練る、⑥奸計で無実の人を陥れる、⑦面子を守るためには、不正・不義も断行する、⑧義を貫くためには汚い手段も辞さず、とある。これらは中国史や中国の社会現象を分析する鍵となる。

 例えば、明清の王朝交代を考える。清はドルゴン・順治帝に至るまでにヌルハチが興した後金から実力を付けてきた。その実力は武力のみでない。敵対勢力への対応をそれぞれ見ていく。

 万里の長城の東端・山海関を守っていた呉三桂に対しドルゴンは北京を占領した李自成の副官に愛妾・陳円円を奪われたとそそのかし、前門の虎後門の狼状態を解消するためにともに李自成を打とうと誘い、堅牢な山海関を無血開城して清軍に投降した。つまり①の策を用いた。

 李自成軍以上の武功を誇るも殺人狂として悪名高かった張献忠に対しては漢中の守りを固めることで、張献忠が四川省の民衆や上層の部下を虐殺するなどで軍内部の崩壊を待ち、打倒した。最後は部下に暗殺されるが、①と④の組み合わせと言える。

 明に代わり北京で清軍と対決した李自成については、項羽のように軍紀が弛緩し、兵士ともども出身地・西安に戻りたく厭戦気分になってきたところを清軍は呉三桂や明の遺臣との連合軍で打ち負かした。④のような様相もある。また、清軍に合流した漢民族勢力からすれば、⑧のように夷敵を利用してでもと考えたのだろうが、清軍は③のように利用するだけ利用して後でこれらの勢力を順番に滅ぼしていった。

 以上、中国史を簡単に分析する上で便利な類型パターンである。

 ついでに⑦ついては、浙江省温州近くにおける中国の高速鉄道脱線事故の際、原因究明どころか救助活動をろくにせず、事故車両を破壊し埋めようとした例からも明白である。

 また中国人と日本人との比較でも興味深い。例えば、中国人の桁外れの贅沢に対し、日本人はむしろ周囲から突出するのを好まない傾向がある。例えば、京都の場合、せいぜい甍を争う程度で、隣近所の民家レベルではほぼ同一区画と言うくらい大差がない。日本では江戸時代の三大改革をはじめ、しばしば奢侈が厳しく制限されてきたこともあり、平和時の中国に比べるときわめて抑制的である。それでなくても日本人は異質や突出を抑制しようとする働きが「世の中」に存在する。中国人のように相手の実力に嫉妬するよりも、わずかな待遇や個人の特徴に嫉妬する例が日本人には多い。中国社会は『リヴァイアサン』にある「万人の万人による闘争」といった競争社会だが、日本は明らかに社会の性質が中国とは違う。

 本書でも日本人はナイーブであるという考えを紹介している。例えば、豊臣秀吉が臨終の枕元に宿敵・徳川家康を招き、息子・秀頼を頼むなど後事を託すこと。また、豊臣方が家康暗殺を企てず、無事に帰還させ、後に大坂夏の陣で滅ぼされる。中国に限らず、世界史的に見てもお伽噺のような現実離れした展開である。日本人はとかく人を信じすぎるだけでは説明がつかない謎である。

 本書にもあるように、贅沢に限らず、物流の移動規模、残酷行為など中国人は日本人の想像を超え、限界知らずかと思いたくなるほどである。逆を言えば、中国から見れば、平和な理想郷である華胥の国のようなものであろう。

 著者は序章で「この本は現在(2014年)、日本で流行している「反中論」や「嫌中論」を煽るものではなく、中国社会を正しく理解するために必要であるとの考えから著した」(34頁)の旨で執筆の目的を述べている。大変意義深い。しかし章を見ての通り中国社会の暗部を多く書いた上、帯で「中国は三千年前から困った人ばかりの国」とあることから、実際には著者が意図した著述の目的とは異なり、中国人は日本人からみて常識の通用しないとんでもない人々である、といった「トンデモ本」として人口に膾炙するのではないかと懸念する。新書本が故にどうしても紙幅に限りがあり細かく細部に亘る説明や分析までできないのだから無理はない。

 本書を読むと中国人の善悪のうちどうしても悪の方に読者としては目がいってしまう。中国人の善悪の幅が広いと著者は言うが、善悪二元論で中国人を分析するには限界がある。例えば、前漢滅亡させたの興した新代に発生した赤眉軍を考える。14年(天鳳元年)、山東の郡で呂母という老女の息子が県令に難癖をつけられ死罪にされたので、県令に対する復讐を画策した。宿兼飲食店経営で蓄えていた財を用いて、混乱した社会で食い詰めていた若者達を飲み食い代をツケとしたり衣服まで貸し与えたりした。呂母の財が尽き若者らが今までのツケなどを返そうとした時、呂母は県令への復讐を彼等に告げた。若者達は仇討ちに加担し、数千名もの人員を集めて県令に反乱を起こし仇討ちの本懐を遂げた。呂母自身は県令殺害後間もなく死ぬが、苛酷な法や重税に不満を持つ若者達がそのまま18年(天鳳5年)に現在の山東省で蜂起した。これが赤眉の乱である。結局は新打倒に利用された挙げ句、後漢を起こす光武帝に消滅させられる。呂母や赤眉の乱を起こした若者達を善悪の二元論ではかる自体、無理がある。呂母は真意はともかく若者の救済のために財を擲ったし、若者達は呂母に対する義に端をなし社会変革を担ったことは否定できないからである。

 農民をはじめとする民衆の反乱、唐代末期の黃巣の乱に象徴される秘密結社を母体とした反乱など、本書で触れられていない内容が少なからず存在する。為政者の側の話をまとめるにとどまっている。色々な疑問や視点が思い浮かぶので、小生自身『資治通鑑』を読まねば、と思った。

 以上、書評を述べてきたが、かく言う小生自身、『資治通鑑』を通読したことはない。だから、今回の入門書を読んだことをきっかけに『資治通鑑』の通読を目指し、大いに学習するつもりである。