オンライン授業体験考

湖南工業大学外国籍教師・渡邊理

 {編集部前書き: この筆者は、中国で日本語教師として勤めました。一時帰省して日本に戻ったとたん、新コロナ・パンデミックが発生し、中国に戻れなくなりました。やむなく日本で遠隔授業をやらざるをえなくなるました。その際の話です。}

 新型冠状肺炎(日本で言う新型コロナのこと)が全世界にしよう猖けつ獗を極めたため、冬休みに帰省し、日本の資料探しを楽しむどころか、今も大学帰還のめ目ど処が立たない。9月に入っても中国当局によるPCR検査の厳格化や航空便や旅客フェリーなどの減便・欠航強化が今も続いている。10月1日発の航空便も欠航とされ、お手上げだ。旅行会社の話だと少なくとも11月いっぱいは現状が続くとのことだ。

 大学の国際交流課は早期帰国を促すが、当方とて出勤拒否でなく、不可抗力なのだ。今も航空券を求めても入手できない状況だ。本来なら言われるまでもなく、11月5日に効力が切れる就労ビザ更新に間に合わせたいのだが、それも叶わない状況だ。取りあえず、オンライン授業を就労ビザが切れた後でも継続できるように、国際交流課に動いてもらっている。そもそも中国に戻れれば、問題ない話だ。実に迷惑な話だ。水際対策として実施されている2週間の隔離対策で十分感染していないことが、実証されるものを何を血迷っているのかと言いたいほどだ。

 そこで半年間、行ったオンライン授業にまつわる体験談を語ることにする。新学期を迎えた現在もオンライン授業をしているが。まず、オンライン授業で困ったのは、国を超えるせいなのか、お互いの顔が見えないで不便だ。さらに悪いことに学生達の声が届かず、こちらから一方的に話さざるを得ないことだ。そこで、YouTubeなどの動画を資料にしたり、画像資料を検索したりしてこ糊こう口をしの凌ぐ状況だ。しかも、テキストは手元にないので、仕方なく参考書として購入した敬語の参考書を使用することにした。

 悪いことを追加して言えば、授業アプリは定期的にパスワードを交換する必要があるので、その度に同僚に設定をお願いせざるを得ず、申し訳ないやら気の毒な思いだ。そして、授業中にも突如、自分の声が小さくしか伝わらなかったり回線が不通になることがあり、もう発狂したくなるほどだった。大学側でも一時Zoomというアメリカ製の通信アプリ導入を検討したが、トランプ政権の対中敵視政策のために、中国当局から採用禁止となった。結局、不自由な授業にならざるを得なかった。それでも、心優しい辛抱強い学生達のおかげで授業を成立させてもらえた。本当に中国の学生や同僚には感謝の念が絶えない。それと忘れてはいけないのは、中国時間に合わせた授業なので、時差による不自由があった。それでも実家の家族が食事の時間を変更してくれたり、時には授業で日本人ゲストとして参加してくれて大いに助かった。こうして不完全な授業でも成立するために、協力してくださった方々の献身は計り知れないほど大きい。

 敬語の授業にしたのには理由がある。就職でも進学でも面接が不可避だが、敬語そのものの使い分け、例えば、尊敬語と謙譲語や「ウチ・ソト」の使い分けなど、一朝一夕には体得できない。以前、中国出身の友人から言われたが、「私の言葉遣いからして、教科書以上の敬語だし、それを中国で日本語を学ぶ若者に伝えて欲しい。私がした苦労を味合わせたくない。」と。私自身、敬語の出来不出来で有能な若者が選別されるなど、くだらない損失だと考えるので、何とか伝えてみようと考えた次第だ。

 まず、尊敬語と謙譲語を徹底した。そのために関連する動画を視聴することで、イメージの定着を図った。日本人だって間違えるという事例も敢えて紹介した。誤用から学ぶ方が記憶の定着につながるし、日本人だって間違えるのだから、中国人が間違えるのは当然だ。勇気をもって敬語を使い、相手に対する配慮を示そうという方針だった。授業でも敬語の説明をしたが、それ以上に効果があったのは、学生が関心を抱いている日本の文化や景色、風俗などを動画で紹介したことだった。等身大の日本人、とりわけTikTokでダンス動画を流す日本の若者に親しみを持ったようなのがよかった。

 ミニテストや試験は録音データでテキストの朗読や日本文化に関心のあること、敬語のメールを作文するとした。結論から言って、優れた成績だった。普段の授業からして、テキスト以上に優れた解答がなされる。私の説教くさい添削にもきちんと受け入れてくれているのが、心底ありがたかった。まだまだやるべき事はあるのだが、素人教師である小生の限度だ。実はとても申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 授業をするうちに思わぬ反応があるので、紹介をする。正午の時報たるサイレンが鳴った途端、学生の一人が「先生、防空アラート(空襲警報)ですか?」と質問してきた。私は「時報であり、普段から緊急警報を伝えることができるように点検をかねています。」と説明した。しかし、中国では決して大袈裟な話とは言えない。例えば、大学の近くにある大きな池を擁する公園に500人収容の防空壕が少なくとも4~5カ所あり、防空壕への入り方を説明した案内板があった。もちろん有事などない方がいいに決まっているが、中国では1979年の中越戦争を最後に最近インドと国境で小規模の軍事衝突があった以外、中国も平和で経済成長に邁進できた。それでも、いざという時の備えがあるのは、日本とは全然違う。それでも日本の「平和ぼけ」も悪いことでないと考える。少なくとも、本気で戦争を望んでいる日本国民がかなり少ない証左なのだから。

 また、別の時間、学生達が「何の宣伝ですか?」と質問してきた。それぞれチリ紙交換車や焼き芋屋の車だと答えると、「拡声器を車に搭載して宣伝するなんて、採算がとれるのですか?」と驚いていた。無理もない話だ。中国は日本に比べ、物価水準が安い。いくら、経済成長に伴い物価水準が上昇したと言ってもまだ、日本に比べるとマシだ。湖南省は内陸の田舎なので、沿岸の都市部に比べるとまだまだ物価水準は低い方だ。ただし、上海だと話が変わる。現実問題として、東京以上に生活費がかかる。それに人口圧の差が日本と決定的に違う。中国では、日本円にして一個50~60円程度でリアカーみたいな屋台を引いて大学構内なり、駅前など繁華街を売り歩いている。日本はそこまで競争が激しくない。昔のマルクス経済学でいうところの経済外強制と経済強制との議論になる。中国では人口圧が厳しい競争を生み、賃金を下げる。経済制度の問題でなく、経済の制度外に起因する問題が賃金を下げているのだ。正直、細かく説明できなかった。

 それにしても学生達の気づきがあまりに鋭いことに感心する。聞き慣れない生活音から異文化を学習できるのだから。それだけ、好奇心を持って真剣に学習しているのだ。私は文法そのものは正直、同僚の中国人教師の指導力に大いに依拠している。その分、ネイティブの使う文法上の確認や日本の文化について語ることに力点を置いている。

 ちなみに私自身、違和感を覚えた中国における生活音がある。一つは大学における終業ベルの音が日本の火災報知器と同じ音なのだ。最初、警報器の点検かいたずらかと思ってしまった。それでも、しばらくして慣れた。もう一つは、買い物をスーパーでする時、レジで「袋は(持っているか)?」と聞かれたが、それが中国語で「袋子(ダイズ)」というのもだから、つい混乱してしまった。日本語で「大豆」と同じ音だから、「なんで大豆がいるのか?」と感覚的に戸惑ったのだ。授業で笑い話程度に学生に紹介したが、生活習慣に根ざす音は言語に限らず、違いが大きく誤解を生じやすいと実感した。

 次にオンライン授業のメリットたるゲスト参加について述べる。まず、我が老母に中国人との絵手紙交流について話してもらった。本当なら、一方的に話すのではなく、双方向授業が理想だったが、先に述べたシステムの問題から実現できなかった。それでも、一般の日本人との交流はクラスの学生にとどまらず、他の学年で学ぶ学生が参加してくれてよかった。フクロウの折り紙による絵手紙を実演したところ、半端な設計図と要領を得ない説明でも完成できた学生が何人かいた。それだけでも、こうした授業を行う値があった。中国人との絵手紙交流した作品にも興味を持ってもらい、中には自分にもできそうだと言う学生もいた。最後には、新型冠状肺炎が終息すれば、大学で是非、教えて欲しいとの感想もあった。システムさえきちんと確立さえすれば、民間交流にもオンライン授業が可能性があることを経験できた。

 私自身、同僚の授業に参加させてもらい、授業の方法をはじめ学習させてもらっている。時には、文法上の質問が来るのを答えたこともある。日本の祭りやお盆の習慣についても話したこともある。こうしたやりとりは実にありがたい。素人教師としてはいい学習を積めるからだ。

 オンライン授業では時として、考えさせられる事もあった。育児をしながらオンライン授業をしている同僚もいる。ところが4~5歳くらいの幼子が母親に甘えたくてつい、じゃれてくるのだ。無理もない話だ。子供にとって家に母親がいる以上、仕事をしているか否かなど理解できるわけもない。それでも同居の祖母に怒られて部屋から出される一幕もあった。正直、かわいそうな話だ。家族全体、さぞや辛いことだろう。しばらくして、授業が進行すると、「山下さんは大阪に出張した。」と、幼子がテキストの日本語の朗読を学生と一緒に唱和しているのだ。母親を手伝っているつもりなのだろう。なんといじらしいことか。日本でも「テレワー苦」という造語があるほど、女性の就業が男性以上に残業が多いばかりか家事や育児をしなければならないほど激務である事が問題となっている。これは世界的な問題だろうと思った。「女性活躍」だの言う前に、テレワークにおける就業実態をより精査し、労働条件向上に向かわさねばならないと思った。

 それにしてもオンライン授業の可能性を述べてきたが、やはり対面での授業が一番だ。例えば、『荘子』外篇の天道篇に輪扁(りんへん;車大工の扁を意味する。扁は名前)の寓話がある。聖人君子のありがたい書物を読んでいる儒者に対し、書物では聖人君子の教えの残りかすにすぎず、実践と完成の重要性をわきまえ、言葉だけでは伝授できない技術があることを説いた。プロの落語家も師匠による対面の稽古なしには弟子は完全に学べない。いくら、音響や動画資料が充実していてもだ。

 学生の中には、オンライン授業でなく、先生に直接授業を受けたいと言う声もずいぶんあった。自分もそうしたいし、正直申し訳ない話だ。オンライン授業は別の可能性が広がり深まる可能性はある。しかし、結局は人との直接の交流に勝ることはないと実感している。感染症をはじめとする緊急事態には有効な手段の一つだが、いつまでもオンライン授業のみに頼るわけにはいかない。まずは、私個人としては中国に一刻も早く中国に戻る手立てをとらねばならない。その間、オンライン授業をよりマシにするために学生の意見を取り入れ授業を構成する。現状それしか考えられない。もしも、よいご意見なりお知恵を賜ることができれば、是非とも教わりたい。以上、オンライン授業に関する主に愚痴と雑談がメインになってしまったが、体験談を結ぶ。