ニセコ探訪

渡辺 理

 

 文化大革命(文革と略される)の最中、中国では農村を革命するという美名のもと、都市部の若者が多数辺鄙な地方に送られた。下放と呼ぶ。下方の真の狙いは、都市の余剰人口だった若年層を体よく追放することであった。慣れない農作業に従事するので、地元の農民にとってはあまり役立たないよそ者だった。若者の多くは孤立し辛酸をなめた。文革後、共産党の高官の子弟はすぐに都市部に帰還できたが、有力な「関係」(コネを意味する中国語)のない若者たちは農村部に取り残されるという悲哀を味わった。まさに棄民政策だった。ところで、これは日本版下放なのかと思わせる場面に遭遇した。

 小生は中国の HGU(中国の大学)で日本語教師をしている。冬休み長期休暇を利用して日本の観光業で評判のニセコに逗留することにした。豪州人や香港人をはじめ国際色豊かであり、パウダースノーと好評の雪質を活かしたスキーリゾートによる成長地域として注目されている。この地域に関する興味もあったが、目的は別にあった。 HGU側から学生の様子を視察してほしいと密かに打診されたことにある。

  HGUからは二名、インターンシップでニセコのホテルで研修を受けている。もとは都会育ちの明朗快活な学生だが、 SNSの投稿が途絶えがちな上に色々と辛い目に遭っているらしいという噂が教職員や学生らの間で立ち出した。そこで、長期休暇で日本へ帰国する小生に対し、彼女らに会って様子を確認してほしいと依頼があった。しかも、宿泊や交通費は後ほど、 HGU側が支払うということだ。

 実際、行って見ると一人はフロント業務をしていた。語学が堪能で、日本語と英語をそつなくこなし、しかも韓国語もある程度できる。卒業後、日本の大学院に留学する予定だ。小生自身、日本語の授業で通訳をはじめ授業を準備や試験の作成など、大変お世話になった。教え子というよりも授業のパートナー、いや恩人といった方が正しい。だが、その現場を見て愕然とした。

 まず、英語を話す外国人客の豪州人や香港人の態度が悪い。「クレーマー」と化して、部屋の変更を要求(たばこ臭いからとか部屋にシャワールームがないとか等些末な理由)をはじめ様々な難癖をつけたり、年甲斐もなく侮辱的に冷やかしたり、香港人に至っては昨年の民主化要求デモを鎮圧された八つ当たりまでするのだ。彼らの尊大な態度はフロントにとどまらず、ホテル内の従業員に対して散見できた。日本人客の中にも彼らに便乗して態度が悪いのも混じっていた。

 日本人を考察する前に少し外国人について考察する。まずは、豪州人。経済上では、アジアの一員というが、現実には commonwealth(英連邦)という意識が白人にはある。そのため、一部の豪州人はアジア人蔑視感情がある。豪州も移民の歴史を持つ国だ。 18世紀のエンクロージャーによる土地囲い込み運動で土地、主に農地を追われた住民らが移民となって渡った経緯がある。ごく一部は囚人も混じっていたのも事実だが、基本的には、新天地を求めて移住した人が多い。もっとも、南アフリカのアパルトヘイトのような白豪主義のもと、アボリジニと称された先住民を虐待した歴史がある。極端な場合、「人間狩り」と称する虐殺さえもあった。 2008年に当時のケビン・ラッド首相によって初めて豪州政府として公式謝罪があったが、権利回復の道はまだまだだ。

  1960年代に白豪主義が移民を必要としてなし崩し的に廃止された。特に中国やインドなどアジアをはじめとする様々な出自が増えた。それで白豪主義の反省もあいまってマルチ・カルチュラリズム(多文化主義)で豪州社会での融和を図る試みもある。しかし、 20世紀末にはポーリン・ハリソンという女性国会議員が登場し、アジア人移民禁止やアボリジニへの補助金削減、多文化主義の廃止などを唱え、白豪主義復活の方向性が出てきた。今日でいえば、アメリカのトランプ現象を先取りしたようなものだが、根が深い。現にカレー・バッシングと称するインド系移民への虐待事件が少なからずある。

 豪州人を見ると、ある種のコンプレックスを見ることがある。それはイギリス人やアメリカ人から軽視されていることによる。例えば、ある国際企業の入社式で「君たちは、最低でも日本人以上の判断力と豪州人以上の文化を持て。」のようなステレオタイプの偏見とか、「豪州のコンビニより日本のコンビニの方が品数は多く、サービスがいい」とか、しばしば豪州なまりの英語が馬鹿にされることがある。そのため、ほかの人種にだけは優越感を持ちたいという弱者の感情が表れている。

 香港人について。英語ができ、本土中国よりは英国民主主義を土台とした民主的社会を形成している。それが本土中国の圧政により、破壊されようとしているという危機意識がある。現に昨年も民主化要求デモが警察当局によって鎮圧されている。それを恨みに何も関係もない本土出身の中国人に八つ当たりをする事例が世界各地にある。日本でいえば、例えば、米軍基地を押しつけられている沖縄みたいな力関係だ。憂さ晴らしついでに、威張りたいという弱者の立場にある浅ましい感情の発露と言ったところだ。ちなみに香港はアヘン戦争で敗れた清朝が 1842年に南京条約でイギリスに割譲した香港島が起源だ。 99年という租借期限は、中国語で久久という音と同じで元々は海賊の拠点だった島であることから、「永遠にどうぞ」という扱いで棄てられた地域だった。日本人に対する感情も決してよくない。日中戦争時、香港は占領された際、住民の財産を略奪し軍票を押しつけ、しかも日本が戦争に負けると紙くずになってしまった。 731部隊が住民に対し密かに人体実験をしたことをはじめ華僑系資本が中華民国を支援させないように事あるごとに住民を虐殺したので、恨まれている。日本人は彼らに比べ概して英語力が低いので、その点も香港人の優越の種となっている。

 小生がロビーでたたずんでいると、豪州のバカップルがフロント従業員に絡んでいるのを目撃した。さすがに異常な雰囲気だったので、「何おかしいことしている!」と割って入ると、白人の野郎は「お前に関係ない」と後ずさりした。その態度にむかついたので、「俺は日本人だ。この侵略者が、エイリアンが」と言い、まだ愚図愚図と態度悪かったので、「豪州人は囚人の末裔だ。ロンドン塔へ帰れ!」と言ったら、殴りかかるどころか逃げ出した。後で話を聞くと、バカップルがフロントに難癖をつけた際、愛想笑いをしたことに対し自分らを馬鹿にしたと言いがかりをつけてきたと言うのだ。文字通りのバカップルだった。だが、小生自身の英語力のなさを恥ずかしく思ったし、自分にとても腹立った。教育上良くないし、自分の品性すら卑しめることになる。それにしても HGUの豪州人教師はそこまで品が悪くないのに一体どうなっているのだ。

 外人よりもはるかに問題なのは、日本人スタッフだ。例えば、上述の客同士のトラブルでは男性従業員は奥にっていて、女性従業員を矢面に立てせたまま、出てこなかった。もし、ナイフなどで小生が負傷することになれば、どうするつもりだったのか。いくら客商売だからと言っても、いちいち不当なクレームに我慢して良いことなどない。相手はダメ元で言いがかりをつけるのだ。それをいちいちそれに応じていたらつけあがるだけだ。「お客様は神様」などではない。これでは、学級崩壊みたいなものだ。少なくとも中国のホテルなら客の不当な物言いに堂々と反証して対応する。それが常識だ!

 ホテル内部の案内板や設備の利用にしても不親切だ。ロビーで新聞を読もうとしても、別な場所に配置してある。部屋を見ても例えばどこに懐中電灯があるかとか細かい設備の置き場所がとんでもない所にあって分かりづらかった。温泉に入った後で借りた水着の返却場所も案内や場所が分かりづらかった。食事がビュッフェ形式なのは構わないが、中にはどこから仕入れたか謎の、身がカスカスの蟹があった。ほとんどの客が手をつけていなかった。布団を授業員が来た際、目立つゴミがひらりと落ちることも愛嬌だが、モラール(士気)が低いように感じた。

 女学生の話によると、残業ばかりで雑務が多いとの事だった。支配人がそれだけ、マネージメント能力がなく、場当たりなためだろう。上述したようにホテル施設について肝心な設備や配置ができていない。温厚な人柄だが、判断力にも欠けるようだった。最近でも女学生の帰国予定だった航空便がすでに新型コロナウイルス肺炎を受けてすでに 65%も減便していたのを知らず、あわてて仲介業者とともに新たな帰国便を手配すると言う不手際だ。女学生がイライラするのは当然だ。そして細部にわたるサービスが出来ていない証左だ。

 それ以上に、マネージャーが陰険で、中国人従業員の日本語の間違いをネチネチとパワハラまがいに責める。加えてヘンテコに理解不能な細かい指示に困惑するということが多いとのことだった。例えてみれば、 1990年に発生した少女連続誘拐・殺人事件、いわゆる足利事件で冤罪だった菅家利和(すがや・としかず)氏が入獄した際、暴力団員出身の牢名主から次のような虐待をされた。「5日間は大目に見てやるが、牢獄での食事作法には順番や作法がある。それを覚えろ!間違えたら、殴るぞ!」と言われた。実際、覚えきれるほど細かくて膨大だったので、何かにつけ殴打されたそうだ。要は牢名主が好き勝手に他の受刑者を殴るためのルールだ。中国に来る日本人のビジネスマンはどうでもいい細かい指示を出すが、系統だってなく混乱を招く。中国人なら、部下に任せるべき所に容喙(ようかい:口出しや干渉の意)し、部下の士気を低下させる。要は中国人を信用しない分際で、場当たりで判断力もなく合理的思考がないのだ。もっとも、件のマネージャーはホテル内の日本人従業員からも当然に評判が悪い。

 後日、もう一人の女学生の消息を聞いたところ、さらに悲惨だった。最初、配膳や掃除などの仕事だったが、別のスキー場に飛ばされたと言う。しかも、スキー場のリフトでの係を担当しても十分な仕事時間が与えられない上、食事まで自腹で一食千円近い弁当を購入するので、仲介業者に払った分の金額を稼げないと言う。仕事や辺鄙な環境により、休日があっても「どこにも行きたくない。」と言うほど、精神的に衰弱しているのだと言う。分けて統治するとした植民地経営のつもりなのか。要は中国人同士で結託されるのが怖いのだろう。それだけ従業員を信用していないのだ。実に小心ぶりを露呈している。

 前に SNS上で女学生がアップした写真で食事を見たが、冷たい残り物であった。いくらホテル従業員では当たり前と言っても、物を知らないのも大概にしろというものだ。「残杯冷肴・残杯冷炙」と言う四字熟語がある。これは残り物の酒や冷えた食事を出すことで、屈辱的待遇をするという内容の四字熟語だ。それを字で追うマネをしている。あくまで中国人はのい使い捨て労働力であって、将来リピーターとして来てもらおうという発想などない。定見も相手を尊重する態度がない。これが素人の一般家庭というならいざ知らず、仮にも宿泊業界を営むプロなのにこの様なたらくでは信用されず、評判が良いわけがない。

  2018年に改悪された「入管法」で外国人労働者まで、非正規派遣労働として使い捨てにする道を開いたのだ。こうした外国人労働者を対等の仲間としないやり方では、怨嗟を積もらせ、日本の評判を下げ、必ずや日本の将来に禍根を残すことになる。斜陽国・衰亡国の一途をたどるしかない!政府推奨の成長地域とニセコがもてはやされても、実情は醜悪な日本の縮図をなしている。そのニセコも宿泊料金が高くなっている。先進的とされた英語でのサービスも長野県の白馬でも実施しているし、交通の便がまだマシな倶知安辺りにホテル開発の資本が流れるなど、必ずしも将来が明るく安泰とまでは言えない。 2019年の統計によれば、訪日外国人の 61.3%がリピーターとなっているというデータもある。だが、真偽が疑わしい上、仮にそれが真実としても、永続するとは到底思えない。少なくともニセコは日本人客が快適に過ごせる場所と限らない。少なくとも小生は二度と行かない。

 あまりにも見ていていたたまれなくなった小生はフロントの女学生だけでも実家でホームステイするように提案した。彼女は気丈にも、今の仕事を全うしたいと小生の提案を拒否した。これほどまでに真面目で日本を愛する学生に対し、日本側の仕打ちはあまりに常軌を逸している。

 一番、今回の探訪で腹を立てたのは自分の無能ぶりだった。将来ある教え子達に何もしてあげられなかったからだ。そしてこのような国に送る手助けをしているという自分の存在に対し、自己嫌悪を抱く。小生はかくなる上は、大学の授業でインターンシップに反対するとともに、将来ブラックバイトや就職先で不当な被害に遭わないようにするため、日本の労働法について等もレクチュアするつもりだ。それで学生に防御法を伝えるつもりだ。それで大学から追放されてもやむなしの覚悟で臨む。

観光は光を観ると書く。これは本来ならば、他のよい文物を見聞し、玩味することで、人間性の陶冶につなげるものだ。今回の探訪では、自分否定しか得ることができなかった。これも学習と言えば学習だが、快適な旅でなかった。そして忌まわしい思い出にしかならなかった。